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《石山寺のご案内》
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※結縁灌頂についてのお問い合わせは、種智院大学同窓会事務局でお受けしています。この件に関して、石山寺へのお問い合わせはくれぐれもご遠慮ください。
このたびの結縁灌頂は、古刹として名高く、西国三十三所の観音霊場として信仰をあつめる、大本山石山寺をお借りして行われます。石山寺の座主猊下は、かつて種智院大学において真言密教を学ばれ、同窓会長にご就任いただいています。
石山寺山門
また灌頂が行われる石山寺の「光堂(こうどう)」は、この平成20年に落慶。東レ株式会社の寄進により、古来の伝統的建築技法のままに、懸崖造り(舞台造り)で建立された、新しくて格式の高いお堂です。
完成間近の石山寺光堂
紫式部の像と光堂
【石山寺の由緒】琵琶湖の南にあって、唯一湖水が流れ出る瀬田川の西岸(右岸)に位置し、伽藍山の麓の景勝地にあって、その本堂が国指定天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建つところから、石山寺と名付けられました。その昔、聖武天皇が東大寺大仏を金色に輝かせるため大量の黄金を必要とし、良弁(ろうべん、東大寺開山・別当)に命じて、黄金が得られるよう吉野の金峯山に祈祷させました。しかし、良弁の見た吉野の金剛蔵王の夢告によれば、「金峯山の黄金は、弥勒菩薩がこの世に出現する56億7千万年の後、この地を黄金で覆うために用いるためにあるから今は使えない。近江国志賀郡、湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地があるから、そこへ行って祈るがよい」。とのことでありました。天平19年(747年)金剛権現のお告げにしたがってその地を訪れた良弁は、比良明神の化身に導かれて、巨大な岩盤の上に聖徳太子の念持仏、金銅如意輪観音像を安置し祈祷を行ったところ、ほどなく陸奥の国から黄金が産出され、その祈祷の成就によって、元号が天平勝宝と改められました。 しかし、何故かその如意輪観音像が岩から離れなくなってしまったため、その像を覆うように堂宇を建てたのが石山寺のはじまりと伝えられています。 その後、国家的な事業として伽藍の整備がはじまり、本尊の塑造如意輪観音像と脇侍の金剛蔵王像、執金剛神(しっこんごうじん)像は、本尊胎内には聖徳太子念持仏の6寸金銅如意輪観音像を納めて奉安されました。 その後、聖宝(しょうぼう)、観賢(かんげん)などの高僧が相次いで座主をつとめ、菅原道真の孫にあたる淳祐内供(しゅんにゅうないぐ)が石山寺中興の祖とされています。淳祐は膨大な著述を残しおり、その自筆本は石山寺に多数現存し、「匂の聖教(においのしょうぎょう)」と呼ばれて国宝に指定されています。 また『枕草子』、『蜻蛉日記』、『更級日記』などの多くの文学作品に登場することで知られ、紫式部が『源氏物語』の着想を得たのも石山寺であったと言われています。今年はちょうど『源氏物語』千年紀にあたり、石山寺でもさまざまな記念行事が開催されます。 本尊の秘仏如意輪観音像は、聖徳太子の念持仏を胎内仏として納め、その伝承により、縁結び、安産、福徳などに霊験あらたかな観音さまとして知られ、また西国三十三所観音霊場の第十三番札所でもあり、広く人々の信仰と崇敬を集めています。今日なお、四季を通じて多くの参詣者があとを絶ちません。
【石山寺へ交通】◆公共交通機関をご利用の方へ
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